ページ

2012年6月4日月曜日

わたしが我が子のように愛する妹の話

Nao3 ふじもなおです。

 読めないだろうけれど愛する妹へ綴る過去の話。

 重い内容もあるので閲覧注意です。

 知りたい方だけ、どうぞ。



わたしが家族の中で一番愛しているのは妹、ただひとりです。

母も父も愛していないわけではないですが感情としては好ましくない複雑なものを抱いています。

そんな妹と、わたしのお話。


妹がうまれたのはわたしが小学2年の頃でした。

とっても小さくて、動いている目の前の生き物に感動しました。

母も父も、祖父も祖母も、親戚の人も、すごく嬉しそうでした。どっちに似てる、小さい、かわいい。そんな言葉が飛び交いました。

ある日、母がなんとも言えない表情でわたしにこう言いました。


「あの子はね、心臓に穴があいてる」


衝撃でした。当時は何がなんだかわからない状態で。

心臓に穴があいていると、死んでしまうのではないか。生きていられるのか。あの小さい体に何が起きているのか。

それが知りたくて、母の言葉を待ちました。


「心臓に穴があいていて、病気がある。ダウン症っていうもので、他の人よりもうんと成長が遅い。みんなが喋っても、喋れなかったり。お勉強ができなかったり、いろいろとできないことがある」


何ともいえない気持ちでした。

あまり理解もできないし、どういったものかわからないけれど、母がわたしに”このことを理解してほしい”という気持ちで伝えていることだけ理解できました。

それを理解した、という意味でわたしは「うん」と頷いたのです。


それから小学5年に上がるまで、わたしは母の言う意味をまるで理解できないまま妹を嫌う感情が募っていきました。

何をしても母は妹にかかりきりになり、わたしは妹の感情もわからないからゲームを取られたり、時間を取られたりで「なんなのよ、勝手ばっかり!」と、勝手に嫌いになっていったのです。

母は、”かかりきりになること”も含めてわたしに理解するように言っていたことを後々わかることになるのですが、当時はそうも考えられず。

自分とは違う育てられ方をしている妹に腹を立ててばかりの日々でした。


小学5年に上がり、友達も少し増えて楽しい日が続く最中、それは突然やってきました。

母が、ギャンブルにハマってしまったのです。

パチンコでした。

近所に住む母の友人が誘ったことで、母はどっぷりとのめり込んでしまったようで。

学校から帰るとカバンを掴んでわたしに妹の面倒を見るように、と言って出掛けるようになりました。

だんだんと遅くなる母の帰宅時間。

母にずっと懐いていた妹と2人きり、帰宅するまで何もなく過ごせるわけがありませんでした。


遅くなり始めた日、妹が泣きました。

お腹がすいているのか?おむつを変えなければいけないのか?

それすらわからないまま、まずおむつを確認。何もない。

ミルクを作って持って行ってもはねのけられる。

泣き止まないことに辟易していると母が帰宅する…そんな日々が延々と続きました。


ある日、友達が顔をそむけました。

「放課後なんであそばないの?あそびたくないなら言えばいいのに!」

どんどん友達が減り、帰宅しては泣く妹と2人きり。


ある日は壁にTVのリモコンを投げつけました。何か物に当たらずにはいられないぐらい、ストレスが溜まっていました。

またある日は大事に描いてきたお絵かき帳のノートを破り捨てました。妹に、うまく描けたページを落書きされたことに腹を立てたからです。


もう、限界でした。


「ああーーーーーーっ!!」

泣き止まない妹の横で大声を上げてわたしは座り込み、両手で髪の毛をかきむしりました。

「なんであんたに構って、わたしが友達なくすのよ!なんであそべないのよ!なにが不満だってのよ、お腹もすいてないで、おむつも汚れてなくてなにが不満よ!」

妹の顔を見下ろしながら、もう自分が何を言っているかもわからないぐらい泣きじゃくり、叫んでいました。

「パチンコってなんなのよ!かわいがってかわいがって育ててた娘じゃないのかよ、金が大事かよ!ふざけんな!!」

ひとしきり、母への文句を汚い言葉で垂れ流したあと、何も言葉が出てこずに呆然とする妹の前でわんわんと泣きました。


そんなわたしの頭を、妹は小さい手で撫でてきました。

つたない言葉で「泣かないで」という意味合いの言葉をずっとかけてきたんです。

わたしは涙や鼻水でぐっちゃぐちゃになった顔を上げられず、どちらが姉かわからない光景だったと思います。


そこからわたしと妹の関係は全く違うものになりました。

翌日から妹は泣かなくなって、わたしは妹に笑顔で接し、時にはゲームで遊んでふざけたり、本を読んだり、一緒にいることが多くなりました。

パチンコをやめた母が家にいても、今までのように母にべったりすることはなく、わたしにくっ付くようになってきました。

できるだけ一緒にいて、遊んで、添い寝をして。

中学に上がって、妹のあいている心臓の穴をふさぐ手術があった時も授業に身が入らず、無事に終わることだけを祈り、無事に終わった報せを聞いた時には泣くほど喜びました。


姉妹というよりも、わたしはむしろ我が子のように感じていると今でも感じます。

家を出て夫と暮らすことになった時も、妹のことだけがずっと名残が尽きませんでした。


今では妹も20歳を迎え、働いています。

痩せっぽちだった体がすごく太ましくなり嬉しいような複雑なような感情を持ちながらも、実家に帰ると嬉々として迎える妹と抱きしめあったりして。


きっともうネットを覚える機会もあまりないし、言葉の理解も深くまではできないのでこの感情も妹に直接届くことはありませんが、いつまでも残しておきたいと思い書きました。


ここまで読んでくださった方がいたならありがとうございます。

わたしの過去の吐露ですのでお見苦しい箇所も多々ありましたが、わたしが妹を思う気持ちを誰かひとりにでも多く知っていただけたなら書いた甲斐があったというものです。





最後に。


ダウン症は成長どころか、重ければ長くは生きられず10代で寿命を迎えてしまう子が多い中、こうして長く生きてくれてよかった。

これからも大変なことたくさんあるけれど、何かあればお姉ちゃんが絶対助けるからね。

いっしょに生きていこうね。


愛する妹へ。頼りないお姉ちゃんより。

1 件のコメント:

  1. 拝読。
    お姉ちゃん、がんばです。

    =しょうちゃん=

    返信削除